ネガティブゲート。ストレスと死生観。

休日だろうが頭の隅には常に仕事が居座るようになりました。

自分の場合休みが不定期なこともあって平日休みも多いのですが、世のお客様方はそうではないわけです。いくら緊急の際には会社に電話をくれと自動返信しようが署名につけようがメールだけで終わらせようとする客が多いわけで。

いや、それはそれでいいことなんですよ。電話至上主義ってわけではないですし。

とはいえ明日対応希望の連絡をメールだけで済ませられると、チクショウとなるわけです。

それは客でも身内でも同じこと。身内からはチャットとか飛んでくるわけです。「お休みのところすみません」、と。

わかります。明日だと間に合わないとか明日朝対応とか、色々あるし、自分もします。

でもね、やっぱり思うわけですよ。チクショウと。

いや、チクショウとかじゃなくて普通に部屋で一人で「死んじまえ」とか「首くくれ」とか「死にたい」とか言いながら机をぶん殴ったりしてますけど。

これもできなくなったらいよいよヤバい気がします。攻撃性が増すのも問題ですが、これがいよいよ「死にたい」オンリーになったらと思うと。いや、なる時期もありますけど。

個人的には基本死にたい人です。死にたい衝動が生きたい理由を上回った時が危ないと思います。自分の場合祖父母や両親より先に死を選ぶわけにはなぁと言う惰性が一番大きいです。あとはゲームとか本とか、デバイスの発達とか、世界情勢とか、色々見たいものはあるので永遠に生きられるなら永遠に生きる気がします。

ただ人間は今のところ不老不死にはなりませんし、300年後の日本とかは見れないわけで、そうであるなら別に生きなくていいかなぁなどと思うわけです。

となるとやはり一番大きな理由は、親の生きてる間に親不孝はやらないくらいになるのでしょう。

兄弟がいずれ結婚するとしたらその家族、親戚付き合いとかあるので死ににくくはなりますけど、見込み薄なんですよね。なんであの親族一覧からうちの兄弟だけこんななのかと。

最近は仕事が嫌で、忙しくて何もやる気がしません。このまま永遠惰性で金もらえるならそれでいいかな、でも流石に難しいかな、などと考えながら今日もボーッとします。

休みだけど仕事のあれやんなきゃなぁとかすごい胸の辺りがシクシクするので手をつけようかなぁどうしようかなぁとか思いながら。